双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

医療はどこまで人を救えるか

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

医療はどこまで人を救えるのか。
この問いが浮かぶのは、調子が悪いときよりも、むしろ少し落ち着いているときかもしれません。
診察を終えて病院を出たあと、処方箋を握りしめながら歩く帰り道。
頭の中が静かだからこそ、ぽつりと考えてしまうのです。

私にとって医療は、まず「止血」のような存在でした。
どうにもならない勢いで気分が振り切れそうなとき、
あるいは、底が抜けたように何も感じられなくなったとき。
薬や診察は、今以上に悪くならないための支えでした。
劇的に元気になるわけではないけれど、崖の手前で立ち止まらせてくれる。
その意味では、確かに私は救われてきたのだと思います。

一方で、医療だけでは届かない部分があることも、生活の中で感じてきました。
診察室ではうまく言葉にできなかった感覚。
「調子はどうですか」と聞かれて、
「悪くはないです」と答えながら、実は説明しきれなかった違和感。
それは嘘ではないけれど、全部でもありませんでした。

医療は、症状を診てくれます。
でも、私が一日をどうやり過ごしているか、
就労B型に行けた日の帰り道でどれくらい疲れているか、
眠れなかった夜に何を考えていたか。
そうした細かな生活の揺れまでは、どうしてもこぼれ落ちてしまいます。
それを「限界」と呼ぶのか、「役割の違い」と呼ぶのか、今の私はまだ決めきれずにいます。

制度や医療の枠組みの中にいると、
「良くなる」「回復する」という言葉が前提として置かれているように感じることがあります。
もちろん、回復は大切です。
私自身、少しずつできることが増えてきた実感もあります。
ただ、その言葉に自分を合わせようとしすぎると、
今の状態がどこか間違っているような気がしてしまうことがありました。

医療が救えるのは、もしかすると「生き続ける余地」なのかもしれません。
すべてを解決することではなく、
答えが出ない状態のままでも、今日をやり過ごせるようにすること。
その余地があったから、私は就労B型に通うという選択もできましたし、
こうして文章を書く時間も持てています。

医療に対して、期待しすぎていた時期もありました。
診断がつけば楽になると思っていたし、
治療が進めば、迷いも減ると思っていました。
でも実際には、診断のあとも迷いは続き、
薬が合っても、合わなくても、考えることは尽きませんでした。
それでも、何も支えがなかった頃に比べれば、
今は確実に「一人ではない」場所に立っています。

医療は万能ではありません。
でも、無力でもない。
その中間の、少し頼りなくて、でも必要な位置にある。
私は今、そう感じています。
救われきらない感覚を抱えたままでも、
医療と距離を取りながら付き合っていくことはできる。
その曖昧さを許せるようになったのは、最近の変化かもしれません。

医療はどこまで人を救えるか。
その答えは、たぶん人の数だけ違います。
私の場合は、「完全に」ではなく、「ここまで」。
今日を生きるための足場を用意してくれるところまで。
その足場の上で、どう歩くかを考えるのは、私自身の仕事です。
今は、そう思いながら、この問いと一緒に生活しています。