双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

双極性を生きるということ――個人から社会へ

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

「双極性を生きる」という言葉を聞くと、どこか大きなテーマのように感じることがあります。
でも、私にとってそれは、もっと小さくて、日常的なことです。
朝、目が覚めたときの体の重さ。
音や光の感じ方。
人と話したあとの疲れ方。
そういう一つひとつの積み重ねが、そのまま「生きている」という実感につながっています。

個人としての私は、まず自分の状態を確かめるところから一日が始まります。
今日は波の上のほうか、下のほうか。
はっきりとはわからなくても、輪郭のようなものは感じ取れます。
その感覚を無視して動くと、あとで体や気分がついてこなくなる。
だから最近は、判断を急がないようにしています。

就労B型に通う日々の中で、「社会」という言葉が、少し現実的になりました。
ニュースや制度の話で聞く社会ではなく、
同じ時間に同じ場所に集まって、作業をして、挨拶を交わす人たち。
その中に自分の席がある、という感覚です。

毎日同じように通えなくても、
調子が悪くて休む日があっても、
また戻ってこられる場所がある。
それだけで、社会とのつながりは切れていないんだ、と感じます。

双極性は、外からは見えにくいことが多いです。
元気そうに見える日と、動けない日の差が大きいと、
「どちらが本当なのか」と聞かれることもあります。
でも、どちらも私です。
波の上にいる私も、下にいる私も、同じ時間を生きています。

個人の中で完結していたはずの体調や気分は、
社会に出ると、どうしても評価や基準に触れます。
時間、効率、安定。
その言葉たちに、少し身構えてしまう自分もいます。
同時に、すべてを合わせなくてもいい場所や仕組みがあることに、助けられてもいます。

精神医療や制度は、私にとって「管理されるもの」というより、
生活を続けるための道具に近い存在です。
調子を整えるための通院。
無理をしすぎないための支援。
それらがあることで、個人の時間と社会の時間の間に、緩衝材が挟まっている感じがします。

社会参加という言葉は、少し立派に聞こえます。
でも実際は、
誰かと同じ空間にいる。
役割の一部を担う。
帰り道に「今日も終わったな」と思う。
そんな素朴な体験の集まりです。

双極性を生きることは、
自分の内側の変化に気づき続けることでもあり、
その変化を抱えたまま、外の世界と関わることでもあります。
どちらか一方だけでは、成り立たない気がしています。

今日も、完璧なバランスではありません。
波はありますし、迷いもあります。
それでも、個人として感じているこの体感を、
少しずつ社会の中に持っていく。
その往復の中で、私なりの居場所を探している途中です🌱

今ここで生きている、この感覚から。
個人から社会へ。
大きな答えは出なくても、
今日の一日を終えられた、という事実を、静かに大切にしています。