双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

SNSが変えた「当事者の声」

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

スマホの画面を指でなぞると、いろいろな声が流れてきます。
軽やかな報告も、息切れしたつぶやきも、誰かの生活の途中みたいな言葉も。
私は今、布団の上に座っていて、胸の奥が少しざわざわしています。
調子がいいとも悪いとも言い切れない、曇りの日の午後みたいな感覚です☁️

SNSに出会う前、私は「当事者の声」という言葉を、どこか遠くのものとして見ていました。
本や講演、きれいにまとめられた体験談。
役に立つし、勇気づけられることもあるけれど、
そこには「今この瞬間の揺れ」があまり映っていなかった気がします。

今は、画面の向こうに、生活の温度を保ったままの声があります。
眠れなかった夜のつぶやき。
就労B型から帰ってきて、靴を脱ぐ前に書かれた一言。
薬の効き目が強すぎた日の、ぼんやりした感想。
私はそれを読みながら、肩の力が少し抜けるのを感じています。

私自身も、ときどき言葉を置いてみます。
整っていない文章。
結論もオチもない、途中のままの気持ち。
投稿ボタンを押す指は少し震えるけれど、
「今ここにいる」という証拠を、そっと残すような感覚があります。

SNSは、強い言葉が目立つ場所でもあります。
元気いっぱいの成功談や、断定的な意見。
気分の波が高い日に読むと、心が引っ張られてしまうこともあります。
そんなときは、そっと画面を閉じます。
逃げるというより、呼吸を整えるための間、みたいなものです。

それでも、SNSがなかった頃には戻れないな、と今は思っています。
病名を名乗らなくても、名乗ってもいい。
今日は何も書けなくても、読んでいるだけでもいい。
そのゆるさが、私には合っています。

XInstagramで流れてくる当事者の声は、
制度や診断名よりも先に、「人の生活」を見せてくれます。
それは、精神医療の歴史を学ぶときに感じる、少し硬い空気とは違って、
台所の匂いや、夜更けの静けさを伴っています。

偏見が消えたわけではありません。
誤解も、乱暴な言葉も、今もあります。
でも同時に、誰かが誰かの投稿に「わかる」とだけ残していく場面もあります。
その短い一言が、私の一日を少し柔らかくしてくれることがあります。

私は今、社会参加の入り口に立っていて、
外の世界と距離を測りながら歩いています。
SNSは、その距離を伸ばしたり縮めたりできる、細いリボンみたいな存在です。
強く引っ張れば切れそうだけど、
そっと持てば、ちゃんとつながっている。

当事者の声は、完成形じゃなくていい。
揺れていて、矛盾していて、途中で止まってもいい。
私は今日も、画面の向こうで息をしながら、
「今の私」を、そのまま置いています📱