双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

“普通”という言葉の再定義

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

「普通にできればいいのに」と、昔はよく思っていました。
朝決まった時間に起きて、身支度をして、外に出て、働いて、夜になったら眠る。
それが当たり前のようにできる人たちを、少し遠くから眺めている感じがしていました。

今朝も、目が覚めたときにまず感じたのは、体の重さでした。
布団の中で、頭だけが先に起きて、体があとからついてくるような感覚です。
時計を見ると、就労B型に行くにはまだ少し時間がある。
「今日は行けそうかな」と、自分に小さく問いかけます。

この問いかけは、私の日常の一部になりました。
行けるか、行けないか。
頑張れるか、今日は休んだほうがいいか。
その判断をすること自体が、すでに一日の始まりなのだと思います。

“普通”という言葉は、いつも外側からやってきます。
世間の基準だったり、誰かの成功談だったり、過去の自分だったり。
でも、今の私は、気分の波と一緒に生きています。
調子のいい日は、世界が少し明るく見えて、歩幅も自然と大きくなる。
反対に、波が下がっている日は、音が大きく感じられて、人の視線が気になって、息が浅くなります。

就労B型に通うようになってから、「参加する」という感覚が少し変わりました。
毎日同じように通えなくても、短い時間でも、そこに行って、椅子に座って、作業をする。
それだけで、今日はちゃんと社会の中にいた、という実感が残ります。
帰り道、コンビニで温かい飲み物を買うとき、胸の奥が少しだけ緩むのを感じます☕️

“普通”は、一本の線じゃなくて、もっと幅のあるものなんじゃないか。
最近は、そんなふうに思います。
早く走れる日もあれば、立ち止まる日もある。
横道にそれたり、引き返したりしながら、それでも今日を生きている。
その全部が、私の「普通」なのかもしれません。

眠れない夜もあります。
布団に入って目を閉じても、考えごとが静かにならず、天井の暗さだけが広がっていく。
そんな夜の翌日は、無理に“普通”を取り戻そうとしないようにしています。
睡眠が足りない体で、いつも通りを目指すと、あとで反動が来ることを、何度も経験しました。

制度や医療の話になると、どうしても言葉が固くなりがちですが、
私にとってそれらは、「続けるための支え」です。
就労B型も、通院も、薬も、生活の中に自然に溶け込んでいて、
特別なことというより、靴を履くとか、傘を持つとか、そんな感覚に近づいてきました。

世の中には、いろいろな“普通”があります。
声が大きい普通もあれば、静かな普通もある。
目立つ普通も、見えにくい普通もある。
私は今、見えにくいほうの普通を、手探りで確かめている途中です。

今日も、完璧ではありません。
でも、朝に自分の状態を確かめて、行ける範囲で動いて、疲れたら戻ってくる。
その繰り返しの中に、私なりの生活のリズムがあります🌱

“普通”という言葉を、もう少し柔らかく、広げて持てたら。
そう思いながら、今日もこの場所に言葉を置いています。
今ここで生きている、この感覚を大事にしながら。