こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。
「見えない障害」という言葉を、最近よく耳にするようになりました。ポスターや研修資料、SNSの投稿。少し前までは、そんな言葉自体が、今ほど表に出ていなかった気がします。私はそれを目にするたびに、胸の奥で小さく何かが動くのを感じています。
私の障害は、外からは分かりません。歩き方も、話し方も、服装も、たぶん平均的です。調子のいい日は、特に何も言われません。でも、だからこそ、しんどいときに「大丈夫そうだね」と言われると、体の内側だけが取り残される感じがします。
就労B型に通い始めた頃も、最初は少し戸惑いました。説明をすると、相手は理解しようとしてくれる。でも、その理解が「分かった気がする」で止まってしまうこともあります。見えないものを説明するって、思っている以上に体力がいります🫧
最近は、ヘルプマークや配慮を求める表示など、「見えないものを見える形にする」工夫が増えてきました。それはとても大切な変化だと思います。同時に、可視化されることで、別の緊張が生まれることも、私は感じています。名札をつけるように、自分の状態を常に提示している感覚。安心と引き換えに、少しだけ息を詰めるような。
可視化って、光を当てることでもありますが、影もはっきりさせてしまうんですよね。理解が進む一方で、「じゃあ、どこまでできるの?」「これは配慮が必要?」と、線を引かれる場面も出てきます。その線の上で、私は今もバランスを取っています。
それでも、名前があること、言葉があることに、救われる瞬間があります。以前の私は、ただ「調子が悪い人」「気分にムラがある人」でした。今は、「そういう特性がある」と言える。完全に安心できるわけじゃないけれど、自分を責める時間は、少し減りました。
心の教育や職場の研修で、「見えない障害」が語られるようになった今、私はひとつ願っています。それは、分かろうとしすぎなくていい、という空気が広がること。全部理解できなくてもいい。ただ、急かさないこと、決めつけないこと。その余白があるだけで、ずいぶん違います。
私自身も、まだ自分の状態をうまく言葉にできない日があります。今日は説明できる気がしない、今日は黙っていたい。そんな揺れも含めて、「見えない」ということなのだと思います。
可視化の時代は、きっと始まっています。でもそれは、すべてを明るく照らすというより、暗闇に目が慣れていく過程なのかもしれません。急に昼になるわけじゃない。少しずつ、輪郭が見えてくる。その途中に、私はいます。
今日も、自分に見えないものを抱えたまま、外に出ています。それでいいと、今は思っています。