双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

回復ノートを書くという習慣

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

私には「回復ノート」と呼んでいるノートがあります。表紙は特別なものではなく、文房具屋で手に取った、ごく普通の一冊です。回復の記録、と言うと、何か前向きな成果を書き留めているように聞こえるかもしれませんが、実際はもう少し地味で、静かな内容です。

書いているのは、「できたこと」よりも、「どうだったか」。たとえば、朝起きたときの身体の重さとか、就労B型から帰ってきたときの疲れ方とか。眠れなかった夜に、何時ごろまで天井を見ていたか、というような、数字にも評価にもならないことです。

以前は、気分の記録をつけること自体が、少し緊張を伴っていました。波を管理しよう、予測しよう、早めに手を打とう。そう思うほど、ノートはチェックリストみたいになって、書いたあとに疲れてしまうこともありました。回復ノートに変えてからは、その力みが少し抜けました。

このノートには、目標を書かないようにしています。「来週はもっと動く」とか、「早く元に戻る」とか、そういう言葉は、あえて置いていません。代わりに、「今日は頭がぼんやりしていた」「午後は少しだけ風が気持ちよかった」といった、今ここで起きていたことを書きます。回復を、どこかへ戻ることではなく、通り過ぎている時間として扱いたい、という気持ちがあるからです。

気分が落ちている時期は、ノートを開くのも億劫になります。そんな日は、一行だけ書いて閉じます。「今日は書くのがしんどい」。それで十分だと思っています。白紙にしないことより、無理をしないことのほうが、今の私には大事です📓

不思議なのは、少し調子が戻ってきたときに、過去のページを読み返すと、思っていたよりも生活が続いていたことに気づく点です。落ち込みの中にいた自分も、ちゃんと日付をまたいで、朝と夜を過ごしていた。その事実が、静かに残っています。

回復ノートは、誰かに見せるためのものではありません。整っていなくていいし、矛盾していてもいい。昨日と言っていることが違っていても、そのまま置いておきます。気分の波の中で変わっていく感覚を、無理に一本の線にまとめないための場所、という感じです。

就労B型に通う生活の中でも、このノートは役に立っています。作業量が少なかった日や、早退した日のあとに、「今日はここまでだった」と書くことで、その一日を失敗として閉じずに済む。できなかった理由を分析するより、「そういう日だった」と記すだけで、心が少し静まります。

回復ノートを書く習慣は、回復を早めてくれる魔法ではありません。気分の波がなくなるわけでも、睡眠が急に整うわけでもない。でも、波の中にいる自分を、そのまま残しておける場所がある、という感覚は、思っていた以上に支えになります。

最近は、書いたページを読み返さない日も増えました。ノートは、記録というより、置き場所に近づいている気がします。その日その時の感覚を、いったん外に出して、机の上に置いておく。必要になったら、また開けばいい。開かなくても、それでいい。

回復ノートを書くという習慣は、私にとって、「ちゃんと回復しなきゃ」という焦りから、少し距離を取るためのものです。戻ろうとしなくても、今はここにいる、と書いていい場所。今日もまた、そんな一行を書いて、ノートを閉じました🌱