双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

“落ち込み”を怖がらなくなるまで

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

私は長いあいだ、「落ち込み」をとても怖がっていました。気分が下がりはじめる気配を感じると、身体のほうが先に構えてしまって、肩がこわばり、呼吸が浅くなる。またあの状態に引きずり込まれるんじゃないか、という予感だけで、一日全体が少し暗くなる感じがありました。

以前の私は、落ち込みをできるだけ早く見つけて、できるだけ小さいうちに抑え込もうとしていました。睡眠時間を整えて、予定を減らして、気分の変化を細かくチェックして。今思えば、それは自分を守るための行動でもあったけれど、その裏側には「落ち込んではいけない」という強い前提があった気がします。

実際に落ち込んでしまった日は、身体が重くて、床と距離が近くなります。時計の音がやけに大きく聞こえたり、窓の外の明るさが、自分とは無関係な世界みたいに感じられたりします。就労B型に行けない朝、連絡を入れるためにスマホを手に取るだけで、指先に少し力が入ります📱 その一つひとつが、「また来てしまった」という感覚を強めていました。

それでも、何度も同じような落ち込みを経験するうちに、少しずつ感覚が変わってきました。落ち込みが消えたわけではありません。ただ、「このまま終わらないのでは」という恐怖が、以前ほど強くなくなってきたんです。落ち込んで、動けなくなって、それでも時間は進んで、ある日ふと朝の光が少しだけやわらかく感じられる。その繰り返しが、身体のどこかに残ったのだと思います。

怖がらなくなった、というより、「知っている状態」になった、というほうが近いかもしれません。雨が降ると分かっている日に、傘を持って出かける感じ☔ 濡れないわけではないけれど、ずぶ濡れになる前提で外に出るのとは、少し違います。

落ち込みの最中に、前向きな言葉はあまり役に立ちません。頑張ろうとか、気分転換しようとか考えるほど、かえって疲れてしまうこともあります。最近は、「今は低いところにいる」「今日は動きが鈍い日」と、状況を説明するような言葉を心の中で使うようになりました。感情と自分をぴったり重ねないことで、少し距離が生まれる気がします。

睡眠が乱れると、落ち込みはより重たくなります。夜中に目が覚めて、天井を見つめながら、「明日はどうなるんだろう」と考える時間🌙 答えは出なくても、「今はそういう夜」と受け取れるようになると、怖さが膨らみすぎずに済みます。

就労B型のスタッフさんに「今日は無理そうです」と伝えるときも、以前より淡々と話せるようになりました。申し訳なさがゼロになったわけではないけれど、「今は波が低いです」と事実を共有している感覚に近づいています。自分を責める時間が短くなるだけで、落ち込みの居心地は少し変わります。

“落ち込み”を怖がらなくなるまで、特別な出来事があったわけではありません。うまくいかなかった日、何もできなかった午後、それでも一日が終わって、夜が来て、朝が来た。その積み重ねの中で、「落ち込んでいる自分も、ちゃんと時間の中にいる」という実感が、少しずつ育ったのだと思います。

今でも、落ち込みの入口に立つと、胸の奥がひゅっとします。怖さがなくなったわけではありません。ただ、「また戻ってくるかもしれない」という感覚が、以前より近くにあります。落ち込みと完全に切り離されるのではなく、一緒にいられる距離を測っている感じです🚶‍♂️

今日は、そんな今の感覚を書いてみました。また別の波が来たら、感じ方も変わると思います。その変化も含めて、今ここで生きている私の一部として、ここに置いておこうと思います🌱