双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

「支え合う」という言葉の中にある難しさ

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

「支え合いましょう」という言葉を聞くと、胸の奥が少しあたたかくなります。
同時に、どこかで肩がこわばる感じもあります。
今日はその、あたたかさとこわばりが同時にやってくる感覚について、今の私の言葉で書いてみようと思います。

就労B型に通い始めたころ、「ここは支え合いの場所ですよ」と説明を受けました。
確かに、誰かが体調を崩したら自然と作業を代わったり、無理をしないよう声をかけ合ったりします。
それはとても静かで、押しつけがましくない優しさで、最初は救われる気持ちがしました。

でも、気分の波が大きい日が続くと、その「支え合い」が、少し重たく感じる瞬間も出てきます。
今日は作業に集中できない、と身体が先に知らせてくるのに、
「みんな頑張ってるから」「支え合ってるんだから」という空気が、背中にそっと手を置いてくる感じがするんです。
強く押されているわけではないのに、前に進まなきゃいけない気がしてしまう🚶‍♂️

たぶんそれは、言葉そのものが悪いわけではなくて、
「支え合う」という言葉の中に、いろんな意味が詰まりすぎているからだと思っています。
助けてもらうこと、助けること、期待すること、期待されること。
その全部が、同じ袋に入っている感じです。

私は今、助けてもらう側にいる時間が長いです。
眠りが浅い日が続くと、朝の光がやけに眩しくて、身体が鉛みたいに重くなります。
そんな状態で「支え合い」を考えると、
「私はちゃんと誰かを支えられているんだろうか」と、静かに不安になります。

社会参加という言葉も、似たところがある気がします。
参加すること自体が良いこと、前向きなこと、という前提が強くて、
立ち止まっている自分が、どこか未完成みたいに感じてしまうことがあります。
でも実際には、立ち止まっている時間にも、確かに生活が流れていて、
その中で感じたり、考えたりしていることは、ちゃんと「今ここ」にあります。

支え合うことがしんどくなるとき、私は「距離」のことを考えます。
近すぎると息苦しくて、遠すぎると寒い。
その間の、ちょうどいい距離は日によって違っていて、
昨日は心地よかった距離が、今日は少し近すぎることもあります。

だから最近は、「今日は少し離れていたいです」と言える場所でありたいな、と思っています。
支え合う、ではなく、並んで座る、くらいの感じ🪑
同じ方向を見ていなくてもいいし、会話がなくてもいい。
ただ、同じ空間にいる、というだけで十分な日もあります。

偏見や制度の話題になると、「もっと理解が広がれば」「もっと支え合いが必要だ」と言われることが多いです。
それも確かに大切な視点だと思います。
でも同時に、理解や支援が、少しだけ人の形からずれてしまう瞬間もある、
そのことも忘れずにいたいな、と今は感じています。

「支え合う」という言葉が、私の中で完全に腑に落ちる日は、まだ来ていません。
でも、違和感を覚えながらも考え続けている、この時間自体が、
今の私にとっての現実で、生活なんだと思います。

今日はここまで書いて、少し肩の力が抜けました。
また気分の波が来たら、考えも変わるかもしれません。
それでも、その都度「今はこう感じている」と言葉にできたらいいな、と思っています🌱