こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。
支援者の方と話す時間は、私にとって少し緊張を伴うものです。部屋に入る前、胸の奥で小さく呼吸が浅くなり、背中に薄い膜が張るような感覚があります。何を話せばいいのか、どこまで話していいのか。気分の波が穏やかな日でも、その揺れは残っています。
以前は、対話の中心に「治す」という言葉が置かれているように感じていました。数値やチェック項目、できたこと・できなかったことが机の上に並び、私はその横に立たされているようでした。悪くはないのですが、どこか自分の体温が伝わらない。言葉が乾いて、手触りを失っていく感じがありました。
就労B型に通い始めてから、少しずつ空気が変わりました。作業の合間、窓から入る光の角度や、昨日の眠りの質について話す時間が増えました。眠れた夜は肩が軽く、眠れなかった朝は足元が重い。その重さをそのまま言葉にしても、急いで修正されない。支援者は、メモを取りながら、同じ速度でうなずいてくれます。
「治す」から「共に」へ。そう言い切るほど劇的ではありません。ただ、横に並んで歩く距離が、少し近づいた気がしています。私は患者である前に生活者で、今日は雨が気になる人でもあります。その重なりを、そのまま置いておける対話は、思った以上に息がしやすい。
気分の波が高い日は、言葉が先に走り、低い日は沈黙が長くなります。どちらも、私の体の反応です。支援者がそれを「調整対象」だけにしないで、生活のリズムとして受け止めてくれるとき、胸の奥の硬さがほどけます。制度の話や支援計画の話も、その延長線上に置かれると、紙の音がやわらぎます。
偏見について話すこともあります。外の世界で浴びる視線や、説明しなければならない場面。言葉にするたび、喉が乾きます。でも、否定も肯定も急がず、「そう感じるのですね」と返ってくると、感情が居場所を見つける。励まされなくても、結論がなくても、それで十分な日があります。
精神医療の歴史や制度の話題が出ることもありますが、難しい言葉は少なめに、今の生活にどう影を落としているかを確かめます。過去の積み重ねが今の仕組みを作っている、と静かに共有するだけで、責める気持ちが少し遠のきます。
対話は、成果を急がない作業だと思います。今日の私は、昨日の続きで、明日の途中です。支援者と「共に」考える時間は、地図を広げるようなもの。道が見えなくても、紙を風に押さえながら、今いる場所を確認する。その行為自体が、私を社会に留めてくれています。
帰り道、足取りは軽くも重くもない中間です。その中間にいられることが、今はありがたい。治るかどうかではなく、今日をどう過ごしたか。その手触りを持ち帰れる対話が、静かに続いていけばいいと感じています。