双極性感情障害と私の回復ノート

あたらしい朝に向かって、一歩ずつ進む坂道のように。

“普通に働く”とは何か――社会とのズレを抱えて

こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。

“普通に働く”とは、なんでしょうか。
この言葉を聞くたびに、どこか胸の奥がざわつきます。
社会が使う「普通」という基準と、自分が生きてきた現実との間に、ずっと埋まらない溝のような距離を感じるからです。

学校を卒業して、会社に入って、毎日同じ時間に出勤して、決まった仕事をこなして、帰ってくる。
世の中の多くの人にとっての「普通」は、こんな流れなのかもしれません。
けれど、双極性障害という波のある病気を抱えて生きてきた私にとって、この「普通」はとても高いハードルでした。

体調が安定している日は人並みに働ける。
でも、突然気分が沈んだり、焦燥感が強くなったり、眠れなかったり、逆に気持ちが高ぶりすぎたり。
自分の中で予測できない変化が起きる。それが双極性障害の現実です。

それでも私は、「普通に働かなくちゃ」と思い続けていました。
社会人として当たり前のことができない自分は劣っている、とそう思い込んでいたからです。
無理をして働き、無理をして笑い、無理をして「普通」であろうとした結果、何度も体調を崩し、仕事を失い、自己嫌悪だけが残りました。

“普通に働く”って、本当にそんなに絶対的な価値なのだろうか。
最近は、そんな問いをよく考えるようになりました。

就労Bに通うようになってから、働くという言葉の意味が少し変わりました。
「完璧に働く」でも「人並みに働く」でもなく、
“自分の体調と向き合いながら、自分のペースで働く”
という選択肢が実際にあるのだと知ったからです。

朝、体調を確認し、ゆっくり準備し、決まった時間に通所する。
できる範囲で作業をし、無理があれば休憩する。
困ったら職員に相談する。
こうした積み重ねが、私にとっての「働く」という行為になりつつあります。

ここには、これまでの職場で求められてきたような“完璧さ”はありません。
むしろ、自分の弱さや体調の揺れを前提にしながら進める、やわらかい働き方があります。

そして、その働き方を受け入れてくれる環境がある。
そのことが、どれほど心を救ってくれているのか、言葉にするのは難しいほどです。

一般就労をしていた頃の私は、毎日が「ずれ」との戦いでした。
周りは普通にこなしているのに、自分だけつまずく。
つまずいた自分を責める。
責めるうちに動けなくなる。
動けなくなると、もっと責める。

そんな負のループの中で、私はずっと「普通」と「自分」を比較し続けていました。

でも最近は、違う角度から考えるようになりました。

“普通”は、人によって全然違う。
社会が決めたテンプレートの中に、全員が収まる必要はない。
まして、病気を抱えている私が、そのテンプレートに無理に合わせようとする必要はない。

働き方の形は、一つじゃない。
働くスピードも、一つじゃない。
求められる力も、一つじゃない。

そう気づくことで、自分の中の“社会とのズレ”が少し優しいものに変わっていきました。

就労Bに通えるようになって、自分の中で大きく変わったことがあります。
それは、働くことが「競争」ではなく、「生活の一部」に変わったことです。
無理に背伸びせず、自分が保てるペースで働く。
それでもちゃんと「働いている」と言っていい。
その当たり前を受け入れられるようになってきました。

“普通に働く”という言葉は、人によって重さが違う。
私にとって、その言葉は長い間プレッシャーの象徴でした。
でも今は、自分に合った形で働くことを「普通」と呼んでいいのだと思えるようになっています。

これから先、また一般就労に挑戦したい気持ちが出てくる日もあるかもしれません。
あるいは、今のようにゆっくり働きながら力を蓄える生き方を続けていくかもしれません。
どちらに進むにしても、もう“社会の普通”に合わせることが目的にはならないでしょう。

大事なのは、「自分の普通」を自分で育てること。
その普通が、私の生活を守り、体調を安定させ、未来につながっていく。

そう思えるようになった今の自分を、以前より少しだけ好きになれています。