こんにちは、「さかみちライフ」です。
頭の中の“ぐるぐる”を整理するために、このブログで日々のことを書いています。
双極性感情障害の当事者として、就労B型に通いながら、社会復帰を目指す日々を送っています。
「医療」と「人権」という言葉を並べると、少し背筋が伸びる感じがします。どちらも大切で、正しいもので、でも私の生活の中では、もっと曖昧で、手触りのあるものとして存在しています。
はじめて入院したときのことを思い出すと、今でも胸の奥がきゅっと縮む感じがします。病室の白い壁、決まった時間に配られる薬、鍵の音。悪いことをしたわけではないのに、どこか「ここから出てはいけない」という空気に包まれていました。頭の中は騒がしかったのに、身体は静かに、ベッドの上に置かれているような感覚でした。
あの頃の私は、「治療だから仕方がない」と自分に言い聞かせていました。医療は助けるものだと信じたかったし、信じるしかなかったのだと思います。でも、あとから振り返ると、「守られていた」というより、「管理されていた」という言葉のほうが、身体の感覚には近い気がします。
「閉じ込める医療」という表現を知ったのは、ずいぶん後になってからでした。それを読んだとき、強い怒りが湧いたわけではなく、ただ、ぽつんと置かれていた記憶に名前がついたような、不思議な静けさがありました。私が感じていた息苦しさは、気のせいではなかったのかもしれない、と。
今は就労B型に通っています。朝、少し眠たい目で支度をして、同じ時間に同じ場所へ向かう。その単調さが、今の私にはちょうどいいです。ここでは、私のペースが尊重されます。調子が落ちている日は無理をしなくていいし、言葉が出てこない日は、黙って作業をしていても咎められません。
それは、とても小さな「自由」ですが、確かに人として扱われている感覚があります。閉じ込められていない、というだけで、呼吸が少し深くなるのです。
医療がすべて悪かったとは思っていません。薬に助けられた夜もありましたし、支えてくれた人もいました。ただ、「安全のため」「本人のため」という言葉の裏で、本人の声や感覚が置き去りにされてしまうことが、確かにあったと感じています。
人権というと、大きな理念のように聞こえますが、私にとっては「今日は窓を開けたい」「今は一人でいたい」といった、ごくささやかな選択の積み重ねです。それを奪われないこと。それだけで、回復の道のりは、少し違って見える気がします。
「閉じ込める医療」からの脱却、という言葉は、まだ途中経過のようにも感じます。制度も、社会の目も、すぐには変わらないでしょう。でも、少なくとも私は、今ここで、自分の足で外の空気を吸っています。その感覚を、大事に抱えながら、生きていきたいと思っています🌱